番外編 第1景 意外だった3つの橋の揃い踏み 海芝浦A

鶴見百景も鶴見区内の各所を回って多くの取材をさせてもらいましたが、まだ大物が残っていました。言わずと知れた海芝浦の景色をゲットすることです。百景の会にとっては、最後の課題で重たいプレッシャーがのしかかってきそうな取り組みでもありますが、何はともあれ当たって砕けろ!といった心境で、かの地の取材に向かいました。そうは言ってみてもこの課題が重い仕事である事は変わりなく、今や天下の鶴見線の終着駅の海芝浦!と言うレベルまで登り詰めている場所を何をどう取材すればいいのかと考え出すと、あまりに巨大な対象物に怖気付くような気持ちが募るばかり。だが、そのように今や鶴見線の存在が大きく膨らんでいるのは、あくまで鉄オタや鉄キチの世界のことであって、百景の会としては趣旨や目的が鉄道に関するイロハにこだわって取材しているわけではなく、どこまでもその場所から何がどう見えるのかと言う一点にあるのですから、そのような独自の視点から取材にすればなんら怖気付くことは無いはずだと腹をくくっって現地へと向かいました。

終点海芝浦駅で電車を降りて、真っ先に私たちの目の前に飛び込んできたのはつばさ大橋(いえいえ、正式名称は鶴見つばさ橋でしたね)と大黒大橋、そしてベイブリッジだったのですが、あれっ!と全参加者が声を上げたのは、3つの橋が揃った形で見えているのに、あのベイブリッジだけが小さく小さく見えていることでした。他の2つの橋が目の前に威風堂々とした姿を見せつけているのに対して「あのベイブリッジだけが小さく見えるのはなに?」と思わせてしまうほど、ひそやかにこじんまりとした佇まいを見せているだけでした。かくいう自分も何度かこの地を訪れ、この景色を見ているはずなのですが、それまでの訪問時の意識としては、鶴見区に住んでいて、鶴見線にも乗ったことがないと言うのでは、区民として示しがつかないだろうと言う思いだけでこの地を訪れていました。だから今の今までこの3つの橋がそのような関係で見えていることにとんと気がつくこともなかったと言うのが実情で、改めて自分の物の見方の薄っぺらな視点を恥いるような思いをしました。3つの橋が揃い踏みで並んでいて、このような構図のロケーションを間近に見ることができると言うのも、この地だからこその景観ではないかと思うと、いつまでもこの絶景を楽しんでいたいとの思いに駆られるばかりです。ただスマホで3つの橋の特別な関係性を映像に収めようとしてもうまくゲットできませでしたので、ウルトラCの技術を使って特別映像をお届けします。お楽しみいただけたら幸いです。

番外編 第2景 哀惜の鉄鉱石タンクの残影 海芝浦B

さて3つの橋の景観を楽しんだ後で左側に視線を移すと、赤と白の市松模様に彩られたタンクが2基ほど目に留まりました。その昔といってもそれほどの歳月をさかのぼるわけでは無いのですが、わが国の鉄鋼事業が盛んで「鉄は国家なり」と言われた時代は世界の鉄鋼大国という名をほしいままにし、日本中の至るところにそのための工場が設けられていました。海芝浦の対岸にある扇島の地にも日本鋼管(現UFJ)の工場がもうもうと煙を上げてその威容を誇り、

赤と白の格子状のタンクがいくつも立ち並んでいました。しかし中国や韓国の鉄鋼メーカーの台頭とともに、日本の鉄鋼業も斜陽化していき大半の企業が合理化を強いられ、ここ扇島の工場も撤退することを余儀なくされました。「やがて歳月とともに一基また一基とタンクが取り壊されていく運命となったのですが、かってはあの中にたくさんの鉄鉱石が詰め込まれ、そこから溶鉱炉へと送り出されていたのに・・・ありし日の時代を思うと哀惜の念が募るばかりです。」と参加者の1人が、かってこの場所で父君が働いていたことを忍びながら、しみじみとした口調でそのような言葉を述懐していたことが印象に残ります。今はあの二基しかタンクはなく、やがってこの2基もまもなく姿を消していく運命となることを思うと、私たちのまなこにかっての栄光を刻み込み、いつまでもこの光景を記憶に留めておきたいものです。

番外編 第3景 ようやくお目当ての景色を見つけた感動感激 潮鶴橋

 海芝浦駅を後に再び電車に乗って引き返し、浅野駅にて下車。早速の平坦地での街歩きと決め込んで、意気揚々とお目当ての景観地探索の活動を始めました。お目当ての景観地とは言うまでもなく、横浜市や鶴見区内を象徴するような建物や建造物のことで、例えばランドマークタワーやみなとみらいのビル群、さらには新横浜のプリンスホテルや総持寺の大祖堂や三ツ池公園付近にある電波塔と言うように、私たちが日ごろから目にしながら親しんでいるものを対象にしていて、しかもそのお目当てのものがどのようなロケーションの中に収まって景観美を醸し出しているかと言うことをポイントに街歩きを楽しんでいます。何しろ鶴見川沿いを散策した折には、あれだけたくさんの取材が可能だったのて浅野駅に降り立つなり、それじゃあ早速お目当ての宝探しをしなければ!と、張り切って歩き出したまではよかったのですが、行けども行けどもお宝に相当するような景観地は見当たりません。入船公園の周囲を探してもそれらしきものはありませんし、潮田神社の境内をくまなく探し回ってもみましたが、それと思しきものはその気配すらありません。困った!どうしたものだろう!と困惑しながら黙々と歩いていくと、見晴らしの良さそうな公園が見えて来ました。ここならきっと何かが見えるに違いないと目を凝らして見つめても、見えてくるものはゲートボールに興じる中高年のおじさんたちばかり。期待はずれの状況が続き初夏の熱い日差しがじりじりと身を焦がし、その中を何の成果も見い出せずにひたすら歩き続けるのは、かなりの精進です。何の収穫を収めることもできないまま、一路鶴見方面に向かって歩き続けること1時間!鶴見川を渡ってその向こう側にある区役所や京急のガードを超えれば本日の終着地となります。ところがスタッフの1人が鶴見川の手前で足早やに動き出し、橋を渡りきったところで後ろを振り返るなり「あった!あった!」と後に続く人たちに向けて叫び出しました。その声にスタッフ一同元気を取り戻し、早速橋のたもとまで駆けつけくるりと後ろを振り返えってみると!。そこで一斉に「あった!よかった!よかった!」と感嘆の声を上げて、ようやくお目当てのものを見つけ出した喜びに浸ることができました。潮鶴橋の右手側つまり区役所側に立って橋の後方を眺めてみると、そこにはあの東電の2本の煙突と鶴見つばさ橋の頭部の様子が浮かび上がっていて、お目当ての宝物に巡りあった喜びが体内からひしひしとこみ上げてくるのを実感しました。日ごろから横浜や鶴見のシンボルとなっている建造物を見慣れていて、それをみるのが当たり前と言う世界にどっぷりとつかりきっていましたが、平坦地の街歩きをしてそのことが当然ではないと言う体験に直面してみて、初めて日ごろは当たり前であると思っていた事はただごとではないのだというシビアな現実を目の前につけられ突きつけられたような思いにかられました。